口ではたとえどんなことを言ったって、わたしのやることはもう決まっていて、答えは最初からひとつなのだった。

『詩音(しおん)とわたしは釣り合っていない』
『もうこれ以上付き合っていくのは無理』
『お互いのために、早急に別れることが必要だ』

 そう言いながら、今日もしっかり定めた時間きっかりに家を出て、詩音が遅刻しないように起こしに行く。

「おーい。いつまで寝てるの」
「今、まで。エマが来たから、もう。もう起きる……」
「さっき電話でも同じこと言ってたよあんた」

 今ようやく起きるらしい同級生の鏑木 詩音(かぶらぎ しおん)は、本来わたしのような庶民とは出会うはずもないお嬢様だ。

「……ありがとう。
 エマがいないと。私、きっとずっと寝てる気がする……」
「それはそれは、訪問のし甲斐があるよ。
 でもね。もう八時だから、すぐに支度するように」
「はーい……」

 だけどお母さんとケンカしてしまって、巨大なお屋敷から出て急遽一人暮らしをすることになり。
 本来もっともっといい学校に行けたところを『近いから』というだけで、わたしの通う公立高校に入学してきたのだ。
 だけど、巨大なお屋敷に暮らすようなお嬢様に、一人暮らしできるような生活能力があるはずもなく……。

「……じゃあ、エマ、よろしく」
「自分で着替えさい。
 朝弱すぎるの、今年度中に何とかするって言ったのは誰だよ」

 生活するどころか、自力では毎朝布団から出ることもできない。
 朝が弱すぎて、一人ではあっという間に遅刻のしすぎで留年するであろう彼女に、毎朝わたしはこうして庶民の生き方を教えているのだった。

「そうでした……。
 自分で、できる。
 でないとエマと結婚できない」
「わたし、するって言ってないけどね?」

 お金持ちと庶民。
 が、ふとしたきっかけで運命的に出会い、恋に落ちる。
 わたしは自分と詩音の関係を
 『そんな話、少女漫画で読んだことあるわあ』って思いながら毎朝会いに行き、起こす。
 だけど、現実は、自分たちの生き方のギャップに驚くことばかりだ。
 わたしだって少女だし、『少女漫画みたいな恋愛がしてみたい』とずっと思って生きてきたけど……。
 実際にそうなってみたら、お互いの生活の差異は、結構埋めるのが難しく苦しいものだったのだ。

 まず、詩音はこの通りひとりでタワーマンションの最上階に住めるほど裕福だけど、うちは正直びんぼうだ。親が共働きをして、わたしもアルバイトをして、ようやく家計が成り立つような家だ。
 次に、詩音のお父さんは誰でも知ってる会社の社長だけど、わたしのお父さんは、娘のわたしでさえ社名がおぼろげなところで働いていて。
 それから、詩音のお母さんはお手伝いさんを何人も従えて家事なんかしたこともないらしいけど、わたしのお母さんが従えるのは娘のわたしだけだし、家事は一緒にやっている。
 最後に、詩音は生活能力がまるでないこと以外は顔も頭もすばらしい天才少女だけど、わたしにはこれといった取り柄なんてものはない。本当にただの、どこにでもいるような人間だ。

 どちらがいい、悪いではない。
 ただ決定的に大きく違うことを痛感している。

「任せておいて。やるよ。
 ……鏑木詩音は、変わる……」
「わかった。期待してる。
 何もせずここで見守ってるからね」

 だから、我が家族が住むマンションの部屋がすっぽり入りそうな、ばかでかい詩音の部屋で正座しながら、わたしはいつでも引き上げ時を探している。
 『結婚』とか『変わる』とか。
 こっちを期待させるようなことばかり言う詩音の言葉を真に受けて、取り返しがつかないほど好きになる前に、さっさとこの関係から抜け出してしまうことはできないか……。と考えたりする。

 だけど、口ではどう言おうと、わたしはとっくに帰り道をなくしている。
 わたしは詩音が好きだ。
 いつもボーっとしてるのに成績は絶対1位で、だけどそれを鼻にかけるどころか、まず自分が頭いいってことからよくわかってなさそうで。
 お人形さんみたいな美少女なのに、男の人みたいな恰好が、特に袖の短いジャケットが良く似合ってかっこよくて。
 羊の毛みたいなふわふわの髪は柔らかくて、甘くないチョコレートを食べれば眠くても多少目を覚まして……。
 それから、人ごみに紛れて、急にキスしてきたりする。

 そんな詩音が何を考えてるのかは、出会ってから今日まで時を重ねても、いまだに全然わからないけど。詩音と付き合っている自分が、何を考えているかはよくわかっている。
 この人と離れるのはいやだ。
 えらそうにお世話してるふりをしながら、この変な人ともっとおしゃべりがしたい。
 『甘やかされた一人っ子のお世話は大変だよ』
 なんて言いながら、誰よりもそれを楽しむ日々を送りたい。
 だから、わたしは。

「……できた。
 時間も、間に合っている……」
「ほんとだ。えっ、こんなの詩音と知り合って初めてなんだけど」
「変わるって言ったでしょ……?
 来年の今頃には。
 私がエマを毎朝起こしに行くようになってるから」
「それは大きく出たね? 期待しちゃうんですけど」
「……していいよ。私、本気だから」

 だからわたしは。
 もしも願いが叶うなら、

『詩音とわたしは釣り合っていない』
『もうこれ以上付き合っていくのは無理』
『お互いのために、早急に別れることが必要だ』

 一生そう言いながら、なんとかうまいことやって生きていきたい。
 本当にそうなるか怪しい、ノリで適当に言っている気がする詩音の言葉にいちいち期待しながら、うっかり、ときめいていたい。
 こんなやつが相手役の漫画なんて読んだことないけど、少女のわたしたちが主役なら、それは『少女漫画みたいだ』となんとか言い張れるだろう。

「やってみせるよ……。
 目標は高い方が。難しい方が……。
 燃える……でしょ?」
「でしょ? じゃないよ。
 よく見たらボタン掛け違ってるし!」

 だから、口ではたとえ『やめたい』『逃げ出したい』って言ったって、わたしのやることはもう決まっていて、答えは最初からひとつなのだ。
 詩音との日々が少しでも長く続くように、あと、詩音が人間として自立するように。
 今日も近くで生きていく。それがわたしの願いだ。

「人生は長い……。ゆっくり頑張って行こう、エマ」
「はいはい。じゃあ、今日も学校行くよ!」

 肩甲骨の大きく浮いた背中を叩いて一緒に立ち上がると、窓の外には夏の景色が広がっている。
 そこを今日も一緒に歩けることが嬉しい。
 まだそれを素直に詩音に言うことはできないけど、それこそいよいよ『ゆっくり頑張っていこう』ということで。
 当たり前のように手を握ってくる詩音に今日も恥ずかしくなりながら、わたしはエレベーターのボタンを押した。