少女001

【イラスト:Hiromu】




 夏のある日は、友人の東條 紗雪(とうじょう さゆき)と、最近オープンした大型書店へ出かけた。

 半年ほど前に知り合った紗雪は、現在わたしの、唯一といえる直接会って遊ぶ関係の友人だ。
 有名私立高校に通っている紗雪と、現在OLとして働くわたしは、自然に出会うには少し年が離れている。
 だけど大変な読書家である紗雪は、ある日小さな図書館にて、わたしという、当時暇を持て余し、読書に熱中していた人間と出会った。
 そして偶然にも本の好みが似ていたことにより、紗雪とわたしはやがて些細なきっかけから会話するようになる。それから時間をかけてゆっくりと、今の一緒に過ごす関係になったのであった。


「この前『孤独に生きていく方法』って本を読んだの」

 その日紗雪が書店へ向かう道で話し始めたのは、読破したばかりの本の話題であった。

 『孤独に生きていく方法』。
 そんなものがあるのか。
 たった一人の親しかった友達と疎遠になったわたしと、学校に友人がおらず、一人で過ごしている紗雪。
 現在不本意にも、大変孤独な生活を余儀なくされているわたしたちにとって、孤独といかに向き合うかというのは、大変切実な問題だ。
 だから二人とも、もしも有効な方法があるのなら、ぜひ知りたいと思っている。


「……どんなことが書いてあった?」

 思わず、たずねる声音が真剣なものになってしまう。
 しかし、紗雪の返答は、想像とはかなり違うものであった。

「『たった一人でいいから、この人は自分を裏切らない。絶対に理解してくれると思う人を見つけなさい』って書いてあった」
「……それ、一人で生きてるって言わないね?」
「私もそう思った。だからいやになって、読むの途中でやめちゃった」

 紗雪が肩を落とすのに合わせて、わたしも同じリアクションをしてしまう。
 自分を決して裏切らず、絶対に理解してくれると思う人。
 そんな存在はなかなか見つけるのが困難に思えるし、そもそも、そんなすばらしい人がいる人間は『孤独に生きていく方法』なんてタイトルの本を手に取るのだろうか。

「借りるの、結構恥ずかしかったのに……」

 疑問に思ったが、そうこぼす紗雪はかわいいので、まあいいか。と思ってしまう。
 紗雪の気持ちは大変わかる。
 いかにも『人生に悩んでいます』という感じの本を借りるのは恥ずかしい。
 自意識過剰とはわかっていても、司書さんに『自分は淋しい人間です』と教えているようで、悲しくなるのだ。

「参考になった部分がないわけじゃないんだけど……。
 でも『なにこれ?』って思うところもあって……。
 おねーさんも読んでみてほしい!
 ああでも、私はもう返しちゃったんだった……」
「じゃあ、これから行く店で探してみるよ。参考になりそうだったら買ってみる」
「そうして! きっとおねーさんも、私と同じ気持ちになると思うから」

 わたしたちがその日訪れたのは、海外の有名な書店を参考に作られた、吹き抜けのある大きなお店だった。
 少し前に、美しい内装の書店の写真を集めた本が流行したが、そういったところで紹介されそうな場所だ。
 店内にはいくつものカフェスペースがあり、しかもそこでは、購入前の本を持ち込んでもいいらしい。
 なのでわたしは紗雪としばらく物色したのち、宣言通り、噂の『孤独に生きていく方法』を読ませてもらうことにした。


 出会って半年も経つにもかかわらず、無邪気に友達というには年が離れすぎているわたしたちは、いまだに距離を測りかねている。
結果、再び自分が孤独になることを想定して暮らさずにはいられない。
 出会った頃に比べれば、会話はかなり弾む。
 金銭感覚も、お金持ちだけれど家が厳しくてお小遣いは最小限の紗雪と、平均以下のOLのわたしはぴったり合う。
 友人がいないせいで時間の融通もきくから、会うタイミングも合わせやすいし、はたから見れば、自分たちはなかなかに良い関係であると、客観的には思えているのだけれど……。
 どうしても、お互いに慎重になりすぎている。


「……混んでるね」
「ああ、あそこだけ空いてる。そこにしようか」

 わたしたちが選んだ奥のカフェスペースは、かなり混雑しているにもかかわらず、思ったよりも静かだった。
 もちろん雑談をしてもいいはずなのだが、ここだけまるで図書館のようにしーんとしており、なんだか話しにくい雰囲気になっている。
 しかもわたしたちは、唯一空いていたということで、ソファ席を選んでしまった。
 新しくてふかふかのソファは大変座り心地が良かったが、柔らかい背もたれによりかかると、必然的に距離ができる。
 結果的に、テーブル席に座って向かい合うよりも、わたしたちは顔が遠くなり、声をかけにくくなってしまったのであった。


 これは、悪手だ。
 
 さっきまで本の話や最近あったことの話をして、よどみなく会話が続いていたのに、今はなんだか話を始めづらい。
 わたしは正直なところ、これをとても残念に感じていた。
 せっかく紗雪と一緒にいるのに、これではおしゃべりができない。

 しかし、そう思ったところで周囲が急に話しやすい雰囲気になるわけでもない。
 わたしたちは仕方なく、無言で本を読み始めることとなり、わたしは紗雪が先ほど話してくれた『孤独に生きていく方法』を開くことにした。
 そこには先ほど紗雪が言った通りの主旨のことが書かれており、わたしは紗雪の落胆は想像にやすいと感じた。


 自分を裏切らない、絶対に自分を理解してくれると思う人。

 そう言われた時、わたしは、自分ではとても大切に想い、もしかしたらそういった存在になってくれるかもしれないと思っていたのに、気づくと消えてしまっていた縁のことを思い出す。

 前職の頃、毎月食事に行っていた友達。
 でも、相手が転勤したらあっさり連絡が途絶えてしまった。
 SNSで毎日のように話していた人。
仲がいいつもりだったけれど、ある日から突然投稿がなくなって、今ではどうしているのもわからない。
 そして残った、唯一と言っていい友達。
 ……には『忙しいから、今度連絡する』と言われて以来、もう半年以上が経ってしまった。


 どの人に対しても、わたしは自分なりにベストを尽くして関係を築いてきたつもりだ。
 にもかかわらず、気が付くとわたしは一人になってしまっていた。
 だから自分にはきっと、人として大切な何かが欠けているのだろうと感じている。
 ゆえにわたしは紗雪との関係にも自信が持てず、いつまでたっても距離を測りかね、自分の気持ちを伝えきれずにいるのだ。
 せっかく親しくなれたのだから、できればもう失敗したくはない。
 でも、どうすれば失敗せずに生きられるかはわからない。
 だから、動けずにいる。


 紗雪は不器用な子だが、それ以上に思いやりのある子だ。
 つんとした態度をとったかと思えば、すぐに不安げにこちらを振り向いて、不慣れな手つきで大切にしてくれる。
 今日も、誘ってくれたのは紗雪だ。
 図書館にもない珍しい本を探していたら

『ここになら置いてるかもしれないよ』

 と、教えてくれたのである。


 それだけではない。
 少し前、わたしが体調を崩した日に、紗雪がお見舞いに来てくれたことがある。

『今日は図書館に行けません。ごめんね』

 そう連絡した直後、おろおろと、おずおずとわたしの部屋のチャイムを押した紗雪は、身体によさそうなものがいろいろ入ったスーパーの袋を提げてやってきたくせに

『自分が食べたかったから買ってきただけ』

 と譲らなかった。
 だけど見るからに危なっかしい手つきで食事を作ってくれ、それでも一向に回復しないわたしを案じて、門限ギリギリまでわたしのそばにいてくれた。

 あの日の紗雪を思い出すと、わたしの心は温かくなる。
 まだ自分はそこまで孤独ではなかったと感じて、安心して眠ることができる。
 そして、そんな紗雪を『かわいいね』と言って抱きしめたいと思う。
 けれど、いつも拒絶されたらどうしようという気持ちが勝って、わたしはうまく行動できない。
 全く情けない話だ。
 わたしは紗雪よりもよっぽど年上なのに、この調子では、精神年齢という意味で紗雪の同等以下な気がしてくる。
 そんなことを考えながら一度本を置き、飲み物を飲もうと正面へ顔を向けると、紗雪が鞄の中をあさりながら『しまった』という顔をしていた。


 どうやら、羽織るものを忘れてきてしまったらしい。
 
 夏の室内はどこも冷房が効いていることが多く、それはこの店も例外ではない。
 にもかかわらず、今日の紗雪はノースリーブの服を着ている。
 これではとても寒いだろう。
 少なくとも、長時間読書するには向かない格好だ。
 なのでわたしは紗雪と同じように鞄を開けると、カーディガンを取り出して差し出してみる。
 すると紗雪は驚いた顔になり、そしてこう言った。


「……ありがとう……」

 だけどこれはわたしが特別親切だとか、心優しいというわけではない。
 単純に紗雪よりも長く生きているので、何事に対しても準備が良くなっているだけだ。
 わたしと同世代の女性なら、多くの人が似たような、あるいはこれ以上の気遣いを紗雪にするだろう。
 それでも紗雪は、たったこれだけのことで顔を赤らめ、恥ずかしそうに頭を下げる。
 わたしはそれが、とてもいとおしい。
 真面目に、誠実に生きているのに、いつまでたっても人に親切にされ慣れない紗雪に、もっといろんなことをして、喜ばせたいと思ってしまう。

 そして同時に、こんなことも思う。

 こんな姿を紗雪が他の誰かに見せることができたなら、友達なんてきっといくらでもできるだろう。
紗雪は学校では冷たい子だと思われているらしいが、実際に話してみて、紗雪の人柄に触れれば、必ず紗雪の理解者は現れるだろう。
 だけどその時わたしは、あっさり紗雪にとって必要のない存在になってしまうかもしれない……と。

 女子高生としては、年の離れたさえないOLと一緒にいるよりも、同世代の友達と過ごす方が、間違いなく正しいし、それこそがあるべき姿なのだろう。
そう理解している反面、わたしは想像しただけで淋しくなる。
 この関係が少しでも長く続けばいい。お互いに新たな友達ができなければ、わたしたちは、もうしばらくくらいは、このままでいられるのでは……と思ってしまうのだ。


 こんなことを考えている間にも紗雪はゆっくりとカーディガンを羽織る。
 そして、再び本に向き直るのだろう。と思っていると、紗雪はなぜか再び鞄を探り、今読んでいたのとは別の本を取り出して、口を開いた。


「……あの」

 紗雪が手に持って見せた本。
 それは前回会った時、わたしが勧めた本だった。

「これ、すごく面白かった……。だから、この話がしたい。
 落ち着ける場所についたら、ゆっくり喋ろうって思ってたんだけど……。
 でもここ、なんだか静かだから……」


 紗雪が次になんと言うのかは、人間関係に臆病で、後ろ向きなわたしにでももうわかった。
 二人とも、同じことを考えていた。
 そんなささやかなことが、今はとても嬉しいことに感じられる。


「飲み物買っちゃったけど……場所……変えたい。
 私が奢るから……」
「わたしもそう思ってた。
 大丈夫だよ。紗雪がお金ないのはわかっているから。割り勘にしましょうぞ」

 言いながらわたしはまだ少し残っているアイスコーヒーを手に取り、そのまま飲み干す。
 紗雪は奢るという提案を断られて

「……どうしてそんなこと言うの!」

 とぶすっとしているが、わたしとしては、わたしが奢っても構わないくらいだ。
 自分は自分、人は人、というスタンスの紗雪は、年上のわたしに対しても奢られるのを嫌い、徹底して割り勘を希望するが、今日くらいは許される気がする。

「あとあの、カーディガンは……」
「うん?」

 上機嫌で、二人分のコップを返却して振り向くと、さらに紗雪が申し訳なさそうに切り出す。
 右手でカーディガンの左袖を大切そうに握り、話す前から言いたいことを無言で主張している。

「もうちょっと借りたい……」
「どうぞどうぞ」

 わたしはそんな、紗雪がかわいい。
 だから

『たった一人でいいから、この人は自分を裏切らない。絶対に理解してくれると思う人を見つけなさい』

 なんて無茶なことを紗雪が言われた時、思い浮かぶ存在になれたらと、思ってしまうことはあるけれど……。
 今はこのくらいの距離がいいのだろう。
 わたしは頷くと、孤独に生きていく方法は載っていない感じでも、もう少し続きを読んでみたい気がするその本を持って、レジへ向かった。

「行きましょっか」