少女001

【イラスト:Hiromu】


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 秋のある日は交通事故に遭って、少し入院することになってしまった。


 怪我自体は大したことはなく、入院はちょっと大げさに思えた。
 だけどこの数日間は、結果的に、わたしにとってとても大切なものになった。
 友人の東條 紗雪(とうじょう さゆき)との関係含め、色々なものに少し前向きになれたからだ。


「よかった。思ったより元気そうだね」


 一週間ぶりに会った紗雪は、ベッドに寝ているわたしを見たとたん大きく息をつき、ホッとした顔になった。
 それを見て、わたしも同じ表情になる。
 友達がお見舞いに来てくれるというのは、こんなにも嬉しいものであったか。


「……あの。わたし、来ていてだいじょうぶ?
 これから、会社の方が来られたりしない?」
「ああ。大丈夫だよ。
 昨日、みなさんでお見えになられたけど……。
 入院といってもこの通り、そこまでひどくはないからね。
 わざわざ来てもらうのが申し訳ないくらいだし。
 『また来るね』って言ってくれる人もいたんだけど。
 『一回来てくださっただけで十分です』って、お断りした」
「たいしたことない……? そんなこと言わないで。
 確かに、結果だけ見ればそうかもしれないけど……。
 おねーさんの本音としては違うでしょう?」


 わたしの言葉に、紗雪の瞳が小さく揺れる。
 高校二年生の紗雪は、学校では『薄情で冷たい子』などと噂されているが、実際はこの通り、心優しく思いやりのある性格だ。
 ただ、感情が表に出にくく、自分の気持ちを伝えるのが苦手なだけなのである。
 だけどわたしは紗雪のこの一言に、どれだけの気持ちが詰まっているかよくわかる。
 思わずほろりと泣いてしまいそうになった。
 わたしの方がはるかに年上で、社会人であるにもかかわらず、だ。


「ありがとう。紗雪のおっしゃる通り。
 ……わたしの本音としてはね。死ぬかと思った。
 本当に怖かった。
 生きていて本当に良かったよ」
「ほら! 無理しないで。
 会社の人にならともかく、私の前で嘘つくことなんてない」 


 事故に遭ったとき感じたのは『わたしの人生は、ここで終わりなのだろうか』という恐怖だった。


 わたしという人間はごく平凡、いや、平凡以下くらいの二十代のOLで、地元を基準に考えたとき『まあ、そこそこだね』という学校に入り卒業し、『まあ、こんなところだよね』という企業に就職し、実家からそこが少し遠かったという理由で、一人暮らしをして生きている。
 かといって地位は安定しているかというと、そうではない。
 『来年の自分がどうなっているかわからない』という漠然とした恐怖は常にあり、今何者にもなれていない自分は、今後も何者にもなれないだろうという、うっすらとした諦念がいつもある。

 結果『若者の貧困』という言葉にも『高齢者の不安』という言葉にも同じくらい当事者意識を感じて己の未来を憂いては悲しくなり、だけどリスクを恐れる性格から『宝くじを当てて一発逆転なんてありもしない夢を見るくらいなら、くじを買うのと同等の額を貯金しておこう』と考え、日々をとにかく地味に生きているタイプである。


 そんなわたしは、親しい人も非常に少ない。
 恋人はもちろんおらず、友達さえごく少数で、紗雪に出会うまでは、休日一緒に遊ぶ相手はゼロだったのである。
 しかもわたしは、もともと人づきあいが苦手だとか、一人で生きていきたいと願っているとか、突然新しい環境に放り込まれ友人作りに失敗したというタイプでもなかった。
 人並みには、人とのかかわりを求めて生きてきた。
 なので、ある地点までは、そこそこ友人がいた。
 だから自分は、人並みに友達がいる人間だと思っていたはずなのに。
 気づいたら、孤独になってしまっていた。


 つまり、自分には人として何かが欠けている。
 何か問題があるので、ひとりぼっちになってしまったのだ。
 そもそも、その理由がなんなのかきちんと理解していないので、このありさまなのだ……。
 と思っていたのである。


 ゆえにわたしは、事故に遭ったとき、自分はあまりにも何もしていない。何も手に入れていない。ここで終わるのはあんまりだ……。と、強く思った。

 何も持っていない人生だから、執着する要素もない。突然消えるように死んでしまえたなら、それはむしろラッキーだ。
 以前はそう思うことさえあったのに、いざとなるとわたしは『終わり』を拒否し、明日が続くことを望んだのである。
 

 そして今に至る。
 これだけ大げさなことを考えたわたしは『この程度では、まず終わらない』という痛みしか負わず、事故を起こした方も至極まっとうな方だったので、すべては粛々と、こんなにも早いのかというスピードで、納得のいく形で片付いた。
 あとは怪我を治して復帰するだけ。
 その前に、もしこんなわたしの顔が見たい人がいるのでしたら、ぜひいらしてください……。という状態だったのだ。


「紗雪。もうバレバレだと思うから素直に言うね。
 入院するって決まったとき、実は怖かったんだ」
「怖かった? ……ああ、わかる。
 私もきっと、おねーさんと同じことを考える。
 それは入院費とか、しばらく会社や学校を休まなきゃいけないってことよりも……」
「ご名答。入院してる間、誰もお見舞いに来てくれないんじゃないかっておびえていたの。
 せいぜい親が来て終わりなんじゃないかな、ってね。
 だから今、紗雪が来てくれて嬉しい」
「……もう。
 そりゃあ、来るよ。約束していたんだから……。
 おねーさん、無理するのやめたら、急に正直だね」


 そう。わたしは嬉しかったのだ。自分をおびえさせた『入院中を孤独に過ごす』という予想が外れたことが。
 しかも、来てくれたのは、紗雪だけじゃない。
 会社の人たちのお見舞いも、思った以上に心にしみたのである。
 わたしは、社内に特に親しい人がいるわけではない。
 だから実際のところは、お見舞いに来るのが億劫な人もいただろう。
 果たして自分が行く理由はあるのだろうか? と思った人もいただろう。
 だけどわたしは、相手がどう思って行動したのかよりも、自分自身がどう感じたかを大切にしたいと思ったのだ。
 なぜなら――……。


「人生いつ終わるかわからないから、辛いときはともかく、嬉しいときは正直に言った方がいいんだなって、最近思うようになってさ。
 ……で、お願いした本持ってきてくれた?
 わたし、楽しみにしていたんだよ」
「……持ってきたけど。
 本当にこの本でよかったの?
 明らかに、入院中の人に渡すような本じゃないけど……」
「いいのいいの。こうなったから、改めて興味持てたんだし」
「おねーさんってそういう人だよね。
 まぁ、私も気になって、同じジャンルの本を借りたけど。
 ……まぁ、こういう本を借りておいてわたしが突然死んだら。 周りの人には『ああ、やっぱり……』って思われるのかもしれないけど……。
 ということで、はい。
 『終活』の本」
「そう。これが読みたかったのです」


 『終活』。
 今回わたしは、紗雪に来てもらう際、このジャンルの本を持ってきてもらうようお願いしていた。
 わたしは今回の事故で、実際はその確率がなかったとはいえ、少し死に触れた気がした。
 なので、知識を得ておきたいと思ったのである。
 これは、同じ部屋に誰かが入院しているならやめておくべき話題だが、今この四人部屋にはわたししかいない。なので、別に構わないだろう。


 終活とは、『自分の人生の終わりに向けた活動』の略だ。
 端的に言えば、自分の死後の段取りを、生きているうちに決めて文章に残しておいたり、先に手続きを済ませたりしておくことである。

 たとえば、自分が亡くなった後、葬儀はどのように行うか。

 お墓は、すでにあるところへ入るのか。
 それとも、新たに用意するのか。
 あるいは、粉になった骨を海に撒いてしまうのか。

 財産があるなら、相続はどうするのか。
 ペットを飼っていたなら、誰に面倒を見てもらうのか。

 このような生前整理を、あらかじめして遺言として残し、必要なら生きているうちに業者に頼み、お金を支払っておくのだ。


 『終活』本では、死の瞬間を『人生のエンディング』と呼ぶことが多い。
 そう聞くと、急に死は前向きなものに思える。
 なぜなら、たとえばゲームなら、エンディングは積極的に目指すものの一つだからだ。
 死が『突然、仕方なく迎えるもの』から『徐々に、前向きに目指すもの』になれば、生きることにも前向きになれる。
 また、突然のことにもおびえないよう、あらかじめ備えておくことができる。
 多くの『終活』本は、そういったねらいで書かれているのだと思う。


 ……であれば、もっと手に取りやすく、買いやすくなってほしい。
 まだ人生というゲームの序盤である、若い人こそ、こういう本を積極的に手に取れるような雰囲気にしてほしい……。
 と思うのだが、残念ながら、なかなかそうはいかない。
 若い人向けの『終活』本はまだ少し貴重で、少なくともわたしは見かけたことがない。

 よって、今わたしと紗雪が持つ本も、年配の方向けである。
 紗雪はこの本を図書館のカウンターへ持っていくのに、さぞ勇気を必要としたことだろう。


「そうだ。200万円だって」
「えっ? 今日持ってきてもらった本の値段?」
「ううん。終活の話。
 自宅で孤独死して、二週間くらい発見されなかったら。
 もろもろの処理に、そのくらいのお金がかかるってこの本に書いてあったの。
 用意しておかないとね」
「それは知らなかった。
 ひえー……。そんなにするんだ……」


 紗雪から告げられる事実に、心がひやっとする。
 正直なところ、その十分の一くらいの額だと思っていたからだ。
 死ぬのにもそんなにお金がかかるなんて、人間社会は、つくづく孤独に冷たい……と思いかけたが、そんな単純な話ではないことは、わたしにもわかる。
 紗雪は続けた。


「読んでいて、200万円は、みんなが用意しておくべきお金なんだなって思った。
 生前人に囲まれていた人でも、孤独死することはあるから」
「あ……」
「この本にもね。毎日すごく忙しい、充実してる人が突然亡くなって。
 だけどご家族やお友達は、最近連絡がつかなくても『どこかに旅行でも行っているのかな』とか……。
 あるいは『仕事が忙しいのかな』って捉えたために、発見が遅れたパターンが載っていたの。
 前者は、定年退職されていたり、求職中で、職場っていう、つながりがなかった方。
 後者は、すごく忙しくしていたところ、突然体調を崩して亡くなった方に多いって。
 つまり、孤独死って、すごく身近なんだなって」
「一人で暮らしている人は、誰でも孤独死する可能性があって……。
 それは周囲との関係が希薄だとか、その人の人間性に問題があるかとかは関係ないってことだよね」
「うん。それを知ったら、孤独死は何もおかしなことじゃなくて、可能性として普通にあることなんだなって思えた。
 孤独であることは恥ずかしいことじゃなくて……だけど準備は必要なものなんだって思えた」


 紗雪はそこまで言うと、手に持っていたままの本をこちらに見せて、少し真面目な顔になった。
 まるで、今日はこれを伝えに来たのだと言うように。


「……だからね。私も、すごく興味を持ったから。
 これから、一緒に準備しようよ。
 今回の件で思ったけど、いつ私とおねーさんも離れ離れになるかわからない。
 このまま健康に生きていた場合だって……。
 たとえばおねーさんは結婚して別の地域に引っ越すかもしれないし、私も地元じゃない大学に進学するかもしれない。
 だから、今みたいに、ずっとそばで暮らすことは難しいかもしれないけど……。
 一緒に勉強したことはずっと残るでしょう?
 私はそうやって、この関係を未来につなげたいって、この本を読みながら思ったの。
 ……いかが、でしょうか?」


 わたしと紗雪は、お互いに友人がおらず、時間を持て余して図書館に入り浸っていたことで知り合った。
 そんなわたしたちは、孤独がいかに身近なものか知っている。 どんなに良い関係でも突然終わってしまうことはあり、お互いに非はないと思える場合でも、切れてしまうつながりがあることを知っている。
 だからこそ、紗雪は提案してくれたのだ。
 この先何が起きてもいいように『一緒に、一人で生きていける方法を探そう』と言ってくれているのだ。


「いいね。賛成! こちらこそ、ぜひお願いします。
 ……でもわたし、結婚できる気がしないんだよなぁ」
「だったらなお準備しなきゃ!
 そういう人、今はすごく多いから、同じ境遇のお友達ができたときもサポートしてあげられるし。
 最後はみんな、一人かも知れないけど……。
 その対策は、誰かと一緒にできると思うから」
「紗雪の言うとおりだね。……でも」
「うん?」


 ならばわたしも、紗雪に伝えたいことがあった。
 わたしと紗雪が一緒に死ぬことはおそらく不可能だが、別々に死んでしまったとき、残った方がその生を証明することはできる。
 たとえば……。


「もし、突然紗雪に何かあったとしても。
 『ああ、やっぱり……』って思われることはないよ。
 わたしがいるから。
 紗雪がどういう人だったか、わたしが説明するから。
 まだこんなに若いのに死について真剣に考えちゃう真面目な人だったって、わたしが伝えるから」
「おねーさん……」


 人と人の関係は儚い。
 今日一緒にいた人と、明日も一緒にいられるとは限らない。
 だから不安になるが、わたしは紗雪との関係を信じたい。
 はたから見れば不思議な二人だが、確かにわたしたちは友達だ。
 であればいっしょに過ごせる限りある時間を、できるだけ前向きに使いたい。
 

「ありがとう……。
 じゃあ、私も同じように説明してあげるね。
 『おねーさんはこの通り、入院先の病院で終活の本を読んじゃう変わり者でしたが、それは前向きな思いがあってこそのものでした』って」
​「よろしくぅ」
「ふふ。ひとまずは、早く怪我を治してね。
 退院したらこの前話した図書館のあるケーキ屋さん。一緒に行くんだから」
「うん……ありがとう」


 一緒にいるのに、孤独について語り合い、孤独死について真剣に学び合う。
 これこそいかにも変わり者の行動だが、わたしたちはそれでいいと思う。
 本を愛する孤独なふたりは、こうして今、今日とこれからについて話し合う仲間になった。
 もしそんなわたしたちの物語が本になるならば、最初の巻は、きっとこのような言葉で終わるのだ。


「では……まずは読書タイム、始めましょっか」



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